« 間違い | トップページ | 三角関数・双曲線関数の逆関数 »

2006年8月20日 (日)

価値観

歴史は人文科學に屬するものである。歴史的な意見は自然科學のやうに必然的な論理ではない。ところが、人文科學の領域に屬するものであつても、唯物的(共産主義的、と云ふ限定された意味ではなく、傾向としての唯物的と云ふ事)な人はそれを自然科學の中に勝手に引込んでしまつて、自然科學の持つ合理性を持たないと言つて、單純に拒否する。その結果が「傳統・權威・宗教」の單純な否定なのだが、この「單純さ」が彼我の思想の交流を決定的に不可能にしてゐる。詰り、「自然科學のやうな發想をするな」と俺が幾ら言つても、その發想以外にあり得ないと言ふのが彼の信念であり、「自然科學の領域における必然的な論理=合理的な説明」を彼は要求し續け、それが無いと判ると「私は納得しません」と云ふ極めて單純な囘答で話を濟ませてしまふ。最う其處まで俺には話が讀めてしまふのだ。

根本的な價値觀・世界觀の相違が「ある」訣だが、この種の相違を彼が絶對に認めない――或は認めてゐるからこそ、「自分だけでやつて呉れ」と説得を拒絶する事は、俺には判つてしまつてゐる。理解と云ふ次元に於て既に壁を作られてしまつてゐる人間に對して説得を試みる事くらゐ、空しい行爲も無い。そして、Kuwata Chikara氏に限らず、途轍もなく多くの現代に生きる日本人が、最早この種の價値觀の支配下に「ある」のである。

俺も唯物的な人の一人なんだろうな。何を考えるにしても理詰めぢゃないと気がすまない。

一方、纔かな期間にしか生きられない人間にとつて長期に亙つて蓄積された傳統が自己を形成する上で大變貴重である事は伝統を尊重する根拠として十分合理的ではないかとも思った。

というか、人文科学は合理性が見出しにくいだけであって、別に合理性がないわけではなかろうというのが (今の) 俺の考え。(もっとも、俺は人文科学に関しては大して詳しくないのであまりああだこうだ言える分際ではないのだが)

|

« 間違い | トップページ | 三角関数・双曲線関数の逆関数 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/169172/11525852

この記事へのトラックバック一覧です: 価値観:

« 間違い | トップページ | 三角関数・双曲線関数の逆関数 »