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2008年9月 2日 (火)

Unix はそんなに閉鎖的か

闇黒日記平成二十年九月一日の Unix の話。

unixの互換性と云ふ奴。ソースで配布されてゐてmakeすれば動く。まあそれはそれで「あり」だとは思ふけれども。しかし、「動かなければソースが配布されてゐるから最小限の修正をすれば動く」=「互換性が高い」と云ふ發想。プログラマ以外のただのアプリユーザに修正は無理だよと。修正無理なら互換性も糞もねえよと。

互換性というより、可搬性だな。でも、どうして動かないからといって自分で直さなきゃいけないと思い込んでしまうんだろう。普通に作者に動かないんだがと文句を言えばいいではないか。

Linuxの場合、ディストリビューションが違ふと別のOSも同然。だから、或ディストリビューションで使へるテクニックだの何だのが他では使へないとか。ドキュメントがあつても特定のディストリビューションでのみ通用するとか。

待て待て、ディストリビューションとはLinux を核として作られた OSのことなのだから、ディストリビューションが違ふ別のOSはそもそも同義だ。違うものは違う。松下のテレビがシャープのリモコンで操作できないからといって文句を言ってはいけない。

情報が欲しければコミュニティに所屬しろとか。使ふだけは許されなくて、プロジェクトに貢獻しろとか。

別にそんなことはないと思うが。実際、俺は一年以上 Fedora を使っているが、別にどこぞのコミュニティに参加を強制されたことはないし、コミュニティに属していないからといって情報の入手にさほど困ったことはない。

尤も、情報というか説明書が未だによく整備されていなくて、結局自分で何とか解決しなければならないというような事態は、確かにそれなりにある。こういう時には、自己解決の能力に長けている人の方が問題を手早く解決できるという点で得ではある。でも自己解決できなかったらそれで終わりというわけでもなくて、適当にググるなり人に訊くなりすればよい。人が集まるところに情報も集まるという自然の摂理に従えば、コミュニティに属していた方が情報が得られやすいという当然の結論にも帰結する。でもそれは情報が欲しければコミュニティに所屬しろということではなくて、せいぜい、情報が欲しければコミュニティに属していた方が得だという程度のことでしかない。

野嵜氏はバザール方式の問題だというけれども、別にバザール方式は個個人が一人前の開発者としてプロジェクトに参加することまで強要していない。問題を自分で解決できなくても、とにかく自分が直面している問題があることを指摘するだけでもプロジェクトに貢獻したといえる。これくらいのことは、商品の不具合についてメーカーに問い合わせるのと大して違わない。

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