« ソフトウェアの開発者と利用者の話 | トップページ | 自衛のための説明 »

2010年5月17日 (月)

ソフトウェアの開発者と利用者の話 その 2

確かに、利用者が開発者に機能の変更を要望することと、開発者が行った変更の内容を批判することは別の概念で、先の記事ではそこらへんがあやふやになっていた。ただ、今回のツイッタークライアントの件では、ソフトがこれまで通りに使えなくなって不便だという批判が、しばしばいつの間にか前と同じ状態に戻せという要求にすり替わっているように俺には見えた。利用者として開発者を批判をするのは当然構わないのだが、開発者の意向を殊更に無視して自分の要求を押し通そうとする利用者が理不尽であることを言いたかった。

仕事が忙しくなって開発に時間が取れなくなったので開発を中止するといったら逆切れする利用者もいる。しまいにゃ、寿命が尽きて死んだら何で死んだんだ!? まだ作ってほしい機能があるのに!とかいうやつだってでてくるんだろうな。まあ、別に言いたきゃ言えばいいんだけれども、そういう文句を言ったところでどうにもならないよ、ということ。

Piro氏は、だからこそ、オープンソース化やフォークする事を提案したわけで、それを俺が讀取り損ねたとまじかんと氏は批判して呉れた筈なのだ。それをまじかんと氏が即座に忘れてゐるのが俺には解せない。

Piro さんの述べた手段の話は、開発者は利用者の要望に応じる義務あるいは責任があるという前提の下で、実際に要望に応じるか、あるいはその代わりにオープンソース化するなどして義務を回避 (したことに) するか、というものだ。俺はそもそもそんな義務などないと思っているから、先の記事のような主張をした。もちろんこんな主張をすれば批判されるのは分かっているが、事実として、利用者は開発者にソフトの開発の仕方を強制することはできないのだ。

オープンソース化すれば、元の開発者が開発を辞めても、誰かが引き継ぐ余地がある。その余地があるという点で、オープンソース化したほうが増しだという意見には俺も同意する。ただ、所詮増しは増しでしかないと俺は割り切っている。


俺だって、yash や mfind を使ってくださる利用者の感想はとてもありがたいと思うし、要望だってできるだけ叶えてあげたいと思っている。でも、それが義務だとは思っていない。


セキュリティーホールなどの問題のあるソフトウェアが却って利用者に迷惑を及ぼすことがあって、それは問題だという主張は理解できる。ソフトウェアの説明書に利用は自己責任でとさえ書いておけばそれでいいのか、と。俺としては、この問題は開発者と利用者のどちらにリスクを負わせるかという差し引きの問題でしかないと思っている。ソフトの欠陥の責任は俺が負うから、みんな安心して使ってくれという開発者はもちろんいてもいいのだが、そういう開発者がほとんどいないのは、開発者にリスクを背負う覚悟がないか、あるいは欠陥がないことを保証する自信がないからだ。でも、ソフトを使いたいという需要は大きいので、多くの利用者がリスクを (ある意味分散して) 背負うことになっている。

Winny のような、開発者と利用者以外の第三者にも被害が及ぶ可能性の大きい欠陥ソフトは、法的に取り締まってもよいと俺は思っているが、まああれは明らかに設計に欠陥があるから、ね。全ての問題の責任を開発者が負えということになったら、恐らく誰もソフト開発なんてやらなくなる。

|

« ソフトウェアの開発者と利用者の話 | トップページ | 自衛のための説明 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/169172/48381199

この記事へのトラックバック一覧です: ソフトウェアの開発者と利用者の話 その 2:

« ソフトウェアの開発者と利用者の話 | トップページ | 自衛のための説明 »