俺のことか?
「言葉はコミュニケイションの手段である」と云ふ言語觀の人が、言葉の誤用について然々述べるのは如何云ふ事なのだらう。言葉がコミュニケイションの手段であるなら、「傳れば正しい」「傳らなければ謬り」と云ふ二分化以外で、國語の正しさを論ずる事は出來なくなる。さう云ふ言語觀を持つてゐる人が誤用を直せとか正せとか言つたりするのは矛盾。
まあ確かに「それは間違っている」とか「それは直しなさい」とか主張することはできないし、実際していないけれども、言葉によるコミュニケーションを達成する上で何らかの齟齬等が発生する、つまり、言葉が伝わらないという確率がより高いと思われることを指摘した (つもり)。
俺のことではなかったとのこと: 無爲徒食日記 二千六年十月 十一日 一
とはいえ、(他人から批判されるかどうかに関わらず) この前の無題記事に書き留めたような事柄について自分の意見を発表したいとは思っている。しかしそれをするのに十分な時間がない。
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