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2010年1月16日 (土)

Re: 闇黒日記 平成二十二年一月十五日

オープンソースの惡いところの話。何でもかんでもオープンソースであることのせいにこじつけることの是非は野嵜さん自身理解しておられるだろうから一一言わないけれども、あつちこつちを別の人が場當り的に作つてゐるという認識はさすがにちょっとどうかと思う。確か野嵜さんは以前にも似たようなことを言ってオープンソースソフトウェア (OSS) を非難していたけれども、別に OSS は一貫した思想を誰かがコントロールしてゐるわけではないという訣ではないよ。(尤も、OS 全体でみると野嵜さんの指摘はあながち間違っていないけれども (後述))

例えば Linux カーネルは今でもリーナス・トーバルズが開発の最高責任者だ。勿論今では彼がカーネルのソースコードの全てを直接管理しているわけではないけれども、開発に関する事柄の最終決定権は彼にある。カーネルの部門ごとの開発責任者は、リーナスの指示にきちんと従って動いている。実際のコードは世界中の開発者が書いているが、責任者がちゃんとコードをチェックしている。

Mozilla Firefox も今は Mozilla Foundation という組織で開発されている。組織が営利的であるかないかという違いはあれども、開発が組織によって管理されているという点では Internet ExplorerMozilla Firefox も変わらない。

というか、Linux カーネルや Mozilla Firefox支離滅裂どころかむしろ成功している方。開発がちゃんと管理されていなければ、ウィンドウズよりも安定していると言われる OS やウェブ標準準拠度が高いと言われるブラウザなんて作れっこないよ。

むしろ問題は複数のソフトウェア間の連携。個個のソフトウェアプロジェクトの中では一貫した思想が浸透していても、それが他のソフトウェアと共有されていないことがある。例えば、Unix 系 OS のコマンドラインツールのうち、古くからあるものには、コマンド実行時のオプションの指定のしかたが特殊なものがある (tar とか ar とか)。おそらく、これらのツールを最初に作った人は、他のツールのやり方を見習わずに作ってしまったのだろう。これらのツールは、個個のプログラムとしては確かに完結しているけれども、一つの計算機のシステム上で使われるたくさんのツールのうちの一つとしてみるとおかしいということになる。

ソフトウェア間の連携の問題は Unix 系 OS に限ったことではなくて、ウィンドウズでも個人が作ったフリーウェア等にはとてもウィンドウズアプリケーションとは思えないようなひどいインタフェースを持つものもある。結局、そのシステム全体の思想を理解していないと、へんてこなアプリケーションが出来上がるというのはどの OS にも当てはまる。

ただ、Unix 系 OS (特に Linux) の場合、基本となる OS 自体がカーネルなり libc なり X なり GNOME なりたくさんのものの寄せ集めでできていて、それらは基本的に独立したソフトウェアプロジェクトとして開発されている。だから、それらをひっくるめて一つのシステムととしてとらえると、ソフトウェア間の連携がうまくいっていないところでぼろが出てしまう。一方でウィンドウズは、カーネル本体からメモ帳などのアプリケーションまでマイクロソフトが全部開発しているので、(どっかから変なソフトをダウンロードしてきたりしない限りは) 一往一つのシステムとして一貫した環境を提供していると言える。

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