« テレビ番組感想 その 263 | トップページ | HTML 5 のビデオの形式 »

2010年2月21日 (日)

メニューバーの話

最近のマイクロソフトはメニューバーが嫌いになったようで、メニューバーのないマイクロソフト製のアプリがどんどん増えている。インターネットエクスプローラを筆頭に、エクスプローラ、ワードパッド、ペイント、ウィンドウズライブメッセンジャー、ウィンドウズメディアプレイヤー、オフィス等等。マイクロソフトはウィンドウズの成功以来初めての GUI 大改革を行おうとしているのだろうか。

結局、メニューバーというものは果たしてあるべき存在だったのか。ワードやエクセルなど、アプリが巨大化するにつれてメニューバーの中身も複雑になり、所望の機能がどこにあるのか探すのにも苦労するようになった。メニューバーをクリックしてダイアログを開いて設定を変更して……という面倒なルーチンを簡単にするためにツールバーなるものが作られたが、アプリが巨大化するとそのツールバーさえも数が増え複雑化し、やはりどこに何があるのか分からなくなった。オフィス 2000 辺りでは、メニューやツールバーの項目のうちあまり使わないものが隠れるという技巧が搭載されていたが、それはまさにメニューやツールバーの中に不要なものがたくさんあることの裏返しだったと言える。

巨大なアプリではメニューバー・ツールバーという従来のインタフェイスは破綻するということが示されてしまった。マイクロソフトが新たなるインタフェイスの方式を編み出すことを決意するには十分な理由だったと思う。そしてマイクロソフトが出した結論がメニューバーとツールバーの統合であり、その結果がリボンインタフェイスであったという訣だ。

リボンという解が成功したかというと、頷き難いのは確かだ。巨大なアプリに入っている機能の数は減っていないのだから、インタフェイスの複雑さを低減するにしても限度がある。しかし、メニューバー・ツールバーがもう機能しない以上それらと決別しなければならなかったのは確かな訣で、リボンの出現は起こるべくして起こった変化だったのだろう。

闇黒日記の野嵜さんはなんで必要なものを隱さうとするのだらうというけれど、メニューバーをクリックしないと機能の一覧が見えないという点では、メニューバーもまた隠すインタフェースであるともいえる。メディアプレイヤーでは再生や早送りのボタンが常にウィンドウ下部に見えているので、わざわざメニューバーの中に再生や早送りのコマンドを用意する意味がない。メニューバーの中身がメニューバーの外に出た時点で、メニューバーはなくなる運命にあったのだろう。

|

« テレビ番組感想 その 263 | トップページ | HTML 5 のビデオの形式 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: メニューバーの話:

« テレビ番組感想 その 263 | トップページ | HTML 5 のビデオの形式 »