ソフトウェアの開発者と利用者の話
- Togetter - まとめ「ユーザの自由、作者の自由」
- フリーソフト作者の自衛のための手段としてのオープンソース化と、自衛のための「寄付は受け付けないよ」 - outsider reflex
- 闇黒日記平成二十二年五月十六日
ソフトウェアのバージョンアップで仕様を変更したらこれまで使っていた機能が使えなくなった
と多くの利用者が文句をいった話について。
一旦公開したのならば、批判の目にさらされると云ふ事だ。(略) それなのにプログラマだけは「批判されない特權」があるかのやうにPiro氏は言つてゐる。
どこをどう読んだらそんな話になるんだ。
開発者が利用者の要望に応えない時、そのことについて非難される可能性があることは Piro さんだって解っている。そういった非難があることを承知の上で、自衛のための手段
すなわち非難を少しでも躱すための手段としてオープンソース化や寄付拒絶の話をしているのだろう。
ソフトに文句があるなら言えばいい。俺だって批判される覚悟くらいはできている。というか、むしろ少し文句を言われたくらいでへこたれてしまう軟弱な精神の持ち主が意外に多いことも問題だ (だからこそ Piro さんは自衛
の話をしているのだろうが)。大概の利用者は開発者の気持なんかこれっぽっちも考えておらず、文句を言うだけ言って後は知らんぷりなので、開発者が自分で自分を奮い立たせることができる強い精神の持ち主でないとフリーソフト開発なんて務まらない。
としまさんは「自分の作りたいソフトを」作るというだけではすまされません。社会的責任がある
といい、野嵜さんは安易に仕樣の變更を繰返すプログラマ・アプリケーションの制作者は、無責任だ
という。こういうありもしない責任だの義務だのを押しつけて、自分の要求する機能が実現されるまで粘着し続ける「利用者」が一番うざったい。自分の思い通りにソフトが開発されるのが当然と思いこんでいて、フリーウェアの制作が慈善活動であることを理解していないのだろう。三日続けて乞食に恵んでやったら、四日目以降は以前よりもましてねだるようになってきたというのと似たような話だ。これまで利用者の望みを叶えてきたからといって、これからもずっとそうしなければならないという義務は開発者にはないんだよ。
仕事が忙しくなって開発に時間が取れなくなったので開発を中止するといったら逆切れする利用者もいる。しまいにゃ、寿命が尽きて死んだら何で死んだんだ!? まだ作ってほしい機能があるのに!
とかいうやつだってでてくるんだろうな。まあ、別に言いたきゃ言えばいいんだけれども、そういう文句を言ったところでどうにもならないよ、ということ。
- 汁么ゴ魚 - アート宣言
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