« テレビ番組等感想 その 293 | トップページ | Yash 2 その 186 »

2010年9月 4日 (土)

Re: 東浩紀とカンニング問題

とある学生が試験でカンニングしたことをツイッターでばらしてしまい、それが担当教員に見つかってリツイート (RT) され……という話。これに対し、多数のフォロワーを有する担当教員が RT しなければ学生はここまで叩かれなかったという意見がある。

教員の RT を見たたくさんの人に叩かれた学生に同情したくなるのはわからないでもない。しかし、なぜ RT した教員やそれを見て学生を叩いた人が逆に非難されなければならないのだろう。

大体、カンニングをしたことへの報いとカンニングをしたことをネットで公言したことへの報いの区別ができていない。学生はただカンニングをしかたら叩かれたのではない。それをネットで公言したから多くの人に叩かれたのだ。学生がカンニングの件を公言しなければ今回のようなことにはならなかったろう。カンニングに対する罰として多くの人に叩かれるのは酷すぎる、というのは考えがずれている。

学生はうっかりカンニングを公言してしまっただけだからここまで叩くのは酷い、というのも甘い。些細な出来事や行動が重大な結果を齎すことは、人間が生活をする上で屡あることだ。

いやー、多分みんなきっかけなんて軽い気持ちなんだよ。個人情報データ持って家で仕事してUSB紛失しちゃった人とかも。でも新聞に載っちゃう。そういうもんでしょ?

しかしうっかりだろうがなんだろうが、誰でも自らの行動の結果には責任を負わねばならない。同情だの何だので見逃すと、付け上って肝心な時に責任を放棄するようになるだけだろう。

あと、今更ネットって怖いところですねみたいなこというのやめてよ……。そんなことも知らずにネットしてたの?

|

« テレビ番組等感想 その 293 | トップページ | Yash 2 その 186 »

コメント

「教諭」って大学教授には使わない言葉です。

投稿: y | 2010年9月 5日 (日) 03時34分

誰が決めたのかは知りませんが (学校教育法で定義されているのかと思ったら違った)、教諭は大学の教員を含まないという暗黙の了解が教育界には存在するようなので、「教員」に変更しました。

投稿: まじかんと | 2010年9月 5日 (日) 12時06分

学校教育法第92条で大學にはどう云つた者を置かねばならないのか定められてゐます。

投稿: 神崎 智徳 | 2010年9月 6日 (月) 21時52分

いやしかし、学校教育法は「教諭」という言葉の意味に大学教員は含まれないということを明確に規定してはいないのですよ。(少なくとも私の見た限りでは)

投稿: まじかんと | 2010年9月 6日 (月) 22時05分

「教諭」と云ふ言葉に一般的な意味はありません。何故なら「教諭」は学校教育法で初めて出てくる職名だからです。學校で教へる人全般を表す普通名詞の「教員」とは違ひます。
学校教育法第27條、第37條、第49條、第60條で幼・小・中・高に置かねばならない職員が定められてをり、そちらには「教諭」が含まれてゐます。一方、第92條には「教諭」が含まれてゐません。つまり大學に「教諭」はゐないと云ふことです。

投稿: 神崎 智徳 | 2010年9月 9日 (木) 02時13分

では、神崎さんと私とでは「教諭」という言葉の意味の認識が違うということですね。私は、(学校教育法で用いられる術語としてではなく) 一般用語としての「教諭」は「教員」と同義だと認識しており、当初そのような意味で「教諭」を本文で用いました。

投稿: まじかんと | 2010年9月 9日 (木) 11時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Re: 東浩紀とカンニング問題:

» Twitter Trackbacks []
[続きを読む]

受信: 2010年9月 5日 (日) 10時02分

« テレビ番組等感想 その 293 | トップページ | Yash 2 その 186 »